安田記念2015 予想

中山の重賞で追い込みを決めた馬を、東京のマイルGⅠで本命視するなどもってのほかではあるのだが、どんなにひねくれた発想で欠点をあげつらっても、想像以上というキーワードによって、常識とされてきたものが簡単に覆されてしまうような競馬が、この春は続いている。

モーリス-フィエロ-サクラゴスペル

この平凡な結論に至った理由は、以下の通りである。

①ゴールドシップは京都が嫌いではなかった

詰まる所、彼自身が考えていた競馬観を、大半の人間が思い違いをしていたのは間違いない。

京都での5戦は全て2400M以上だった。

それ以下の距離で馬券を外したのは、今年のAJCCのみ。適性に対する事実誤認があり、脚質への先入観をなくせば、本質的に京都で走ったレースは向いていないことはわかる。

当たりはずれが出て当然なのだ。

②ドゥラメンテの敵は自分自身だった

鮮やかな横綱相撲で、あっさり二冠を達成したドゥラメンテ。

でも、当日の気配がもっと怪しいものであったなら…。

競走馬には、多かれ少なかれ大一番に向けた稽古の中で、相応のストレスというは蓄積されているはずだ。

ただ、皐月賞に出られた勝負運も大いに影響しているように思う。結局、それが今回完璧に仕上げられる余裕が生んだのだろう。

③調教師の采配が絶妙

馬の良さを引き出すには、悪い部分を出さないようにするというより、それを受け入れた時にネクストビジョンが開けることを証明された春。

堀調教師が、ドゥラメンテの危ない側面に配慮をしつつ、無理強いをしないで納得の仕上げを完成させた。

須貝師も同様。まずは、馬と騎手の信頼関係の構築。そして、結果に拘るためには、まず自分が勝ち気になりすぎて、それを馬に悟らせないように気遣うことが重要だと感じたから、最近は少し戦績はまともになったのだと思う。

つまらない前置きを延々書き連ねてきたから、モーリスの才能に触れることが、さも危険な論拠を構築するようにも映るかもしれない。

現に、血統面に関しては、少々強引にスピード能力の根拠を引き出さないと無理なので、快速型と結論付けられない部分は認めるしかない。

ただし、それが出遅れ癖で生じる「勝手に後継ラップ」によりもたらされる豪脚の根拠になっている部分もある。

ゴールドシップや若き日のペルーサもそう。条件は狭まるが、決して時計勝負を苦にすることはなかった。血統のイメージよりは、速さを秘めている馬なのだ。

気性難がマイナス面を引き出すのは当たり前であり、普通の競馬を出来なくなる危険性が、一方的な人間の料簡でによって評価を下げる要因にはなってしまう。

そして、勝手にそれはよくないとする信じられない人間は、最後貧乏くじを引くのである。

魅力的だからこそ、ここでは推したい。

東京の適性もまだわからないからこそ、過剰人気以外の不安材料は、GⅠ級の底力を秘めた才覚の一端と考える。

スローでは流石に苦しいかもしれないが、堀厩舎に来てからのモーリスから、競馬への不平不満のサインは感じない。

今なら川田騎手も受け入れられるだろう。もちろん、騎手の側も馬の成長を理解できるはずだ。

買いかぶりは百も承知。でも、こういう馬たちにはいい流れが続いているのも見逃せないから、悔いのないような買い方で勝負したい。