宝塚記念2015 回顧

やっぱりか。これが不思議じゃないのもまたゴールドシップである。

しかし、それでもいいから、ここに出てきてほしい。ゴールドシップを見たかったファンの夢は叶ったが、勝ってほしいという期待まで応える気にはならなかった。

ずっと落ち着いていたのは、少し不気味だった。走る気になるスイッチを自身の中で入れらなかったから、こんなことになってしまったのかもしれない。

ゲート入り前にひと暴れさせてもらえていたなら、きっと全く違う答えが出ていただろう。

期待に応えたのは、ラブリーデイの方だった。

京都記念の積極的な逃げ馬マークのスタイルに、前走で手に入れた中団からじっくり仕掛けて動ける巧みさが加わった今、少し低調なレッドデイヴィスの逃げを捉えるだけでいいという競馬は、久々の騎乗という奇遇が続いた川田騎手にとって、理想的なGⅠの勝ちパターンだったのではないだろうか。

京都記念での屈辱から、ここまで取り繕うことができたのなら、結果もついてきたわけだし、よしとすべきである。

ゴールドシップも然り。

そう言えば、ゴールドシップが基本的な競走能力を最低限繰り出し、捲り上がっていこうとした時、こいつを交わさないと…、その前に立ちふさがっていたのが、自分を取り戻したデニムアンドルビーだった。

よく考えてみたら、ゴールドシップにひと騒動のあったジャパンカップで、ジェンティルドンナを際どく追いつめたのがこの馬。

今春は、シップの庭でかなりの頑張りを見せた後、さすがに天皇賞で二番が利かず、直線では伸びきれなかったのだが、牝馬が王道ローテで3つとも好走することなどありえない。

半期に2度走ればいい方の馬が、これだけ頑張ったのだ。

シップも一応、これでメンツが立ったのである。阪神大賞典で負かした馬が、きっちり結果を出したのだから。

たまにしかやる気にならない馬は、普通勝ち切れるものだが、追い込みにコミットしたこのスタイルの確立は、往年のハーツクライと通ずる切なさを湛える。

以降は、ペースも馬場も、敗因は山ほどあるという感じ。

それでも、トーホウジャッカルは、本質はこれよりもしかすると短い方がいいのかもしれないというほど、万全の出来ではなかったのに、正攻法の抜け出しをして、実力を示した。

所謂、展開一つという常套句は、この馬にだけはあてはめてもいいだろう。

夏の小回りの2000Mを使っても、十分走れそうだが…。

今の菊花賞馬は、昔ほど信頼はできないからなあ。その究極系を目撃したばかりでは、何の説得力も持たない。

ヌーヴォもラキシスも、例年ならもっと褒められえていい健闘だが、人気を考えると、ショウナンパンドラ久々の激走にお株を奪われてしまうのも致し方なし。

GⅡの勝ち方は鮮やかだったが、もっと細工の利かない競馬の方が合う。

それがショウナンとの違いである。

今にして思えば…。

あのゲート内の大暴れは、昨年の春の天皇賞でもやっていたことであるから、きっとそのことを丹念にケアしてくれるような気遣いがあったなら、こうはならなかったのかもしれない。

ゲートの入れられ方にイラつくのは、馬の怖がる性質を利用して、一目散にこの狭い場所から抜け出したいという心理を生み出させることで成立するシステムである以上、どの馬にでも共通して内面的に秘めるリスクの部分である。

ゴールドシップ程の馬が、理由もなく暴れることない。

走りたくないんだ、ではなく、

「俺は一番にゲートを出たいんだ」

そんな気持ちが裏腹となって出てしまっただけのことだと、外れ馬券を眺めながら、しんみりとレース回顧する筆者である。

それも本末転倒なのかもしれないが。